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2005年12月9日(金) 日本刀(by tanaka)

先日、漫然とインターネットで眺めているとき目に止まったのが“日本刀で人は何人切れるか?
とゆうのが有りました。山本七平氏の3人説 成瀬関次氏の多人数説、殺陣師の説 他の人の文献を引用して記しているが。
鍛冶屋の私が見て一言
人を切るなら 曲っても切れる、刃こぼれしても切れる、折れても切れる、折れる箇所のもよるが、人を切ることが どのような ことかが問題ではある。相手にダメージを与えること、殺傷することであるならば であるが、
切捨て御免の時代においても 町人や農民を切ることは社会的諸条件の規制によりほとんど出来なかった。刀は当時の侍にしても高価なものでしょう、土地、家屋が お上の一存で回収された例が多いことからみて 不動産の所有権は侍にとっては無きに等しいのであり、
刀は唯一 又は数少ない高価な資産でしょう。
一度 戦えば 相手が刀を抜く前に 切り倒せば別ですが 互いに何度も 刀合わせして切り合いすれば その都度 刀の刃は欠けてノコギリの様な状態になるだろう、折れることもあろう。
いかに 達人といえども 懐から紙を取り出し刀身の血痕を“スー”と拭き取り 無理なく鞘に収めることは出来ないとおもわれる。チャンバラ劇では当然のしぐさではあるが おかしい。
刀を抜くことは 侍にしては一身上の重大事で 自身や一家が存亡の危機に立ち至ったときでなければ 刀は抜けない、一度 抜いて戦えば その後 使用に耐えなくなり廃棄となるか?
伝家の宝刀は 抜かないで置くときにのみ値打ちがあるようだ。
これを 真に受けると時代小説は成り立たなくなり 私どもの楽しみが無くなる。

好学の士にお聞きしたい、
侍は何本も刀を持っていたのか?
損傷した刀は修理していたのか、廃棄したのか?その方法はどのようにしたか。
                                     幸一郎

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